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思う事4(琴と胡弓) [思う事など]

思う事4(琴と胡弓)

9月8日のBlog、思う事2で私の琴と胡弓の師、富山清翁先生のことを書かせて頂きました。富山先生とは直接関係はないかもしれませんが、今日は文楽の琴と胡弓のことについてお話しさせて頂きたいと思います。

文楽の三味線弾きは必ずしも全員ではないのですが、子供の頃または若い頃に琴や胡弓を稽古します、それは義太夫の演目には琴や胡弓を演奏する曲があるからですということをお話ししました。そして場合によってはそれが出世の足がかりにもなり得る、ということもお話ししました。特に出世ということに関しては明治、大正、昭和の初期という時代は多い時には三味線弾きだけで相当数(おそらく私の想像では50人も60人も)いた時代には、短時間でも琴や胡弓を舞台で弾くことはとても目立ったでしょうし、それを無難にそして見事に弾きこなすことが出来れば三味線の役も付くということもあったと、師匠からお聞きしました。

今回私がお話しすることは琴や胡弓の弾き方についてです。これも三味線と同様に、私のように既に文楽から離れて10年以上も経っているのに無遠慮にもほどがあるとお叱りを受けそうです。でも私が何人かの師匠達に稽古して頂いた時のことを少し思い出して書いてみたいと思ったものですから。私のお話しすることにもし誤りがあればもう平にお詫びするしかありません。どうぞ角太夫の戯言とお思い下さい。

私は文楽研修生の時に二年間、大阪では菊原初子先生に東京では富山先生に琴と胡弓の手ほどきをして頂きました。このことも既にお話しさせて頂きました。初めて舞台で琴を弾いたのは国立劇場で、「増補忠臣蔵」の本蔵下屋敷の段だったと思います。この時に、師匠・重造に教えて頂いたことは、基本はその道の立派な先生に習ったのだがそれはあくまで箏曲や地唄の世界の弾き方なので、基本は基本として非常に大切だが太棹の三味線と弾く時はもっとしっかり大きく弾かないと三味線の音に負けてしまう、ということでした。確かに三味線の音が大きいので、琴や胡弓が必要な場面は必ずと言ってよいほど琴や胡弓が目立つような曲調になっていますし、優しく弾いていたのでは目立つどころか蔭に隠れてしまいます。師匠は、「もっと粒立てて荒っぽうに弾き」というようなことを再三仰いました。「基本は同じでも弾き方は違わないかん」というようなことも言われました。

琴だけでなく胡弓も同じでした。左手は糸を、三味線とは違ってもっと軽く押さえるが弓は大きくゆっくり使うように、そして弓を糸に対してこれも荒っぽいくらいに当てて弾くように言われました。琴は手本を示して頂けませんでしたが、胡弓は、「子供の頃から弾いてへんさかい、よう弾かれへんやろけど、ちょっと貸してみ」と仰って私の胡弓を手に取り弾いて下さいました。驚いたことに見事に弾きこなされあっけにとられてしまい、本当に驚きました。子供の頃に習得した技術は70歳になっても80歳になっても忘れないものなのですね。それは「伊賀越道中双六」の沼津の段の胡弓を稽古して頂いた時でした。雲助の平作が、腹を切って虫の息で最後の述懐をする、その述懐を胡弓の音で哀れで寂しい雰囲気を醸し出します。だからと言ってこれも中途半端に弱く弾くよりもむしろしっかり弾いた方が哀れを増すのだそうです。「大きく弾いてもお前の気持ちがこもっていれば哀れに聴こえる、もっとなんとはなしに弾いてみい」というようなことも言われました。

文楽における琴と胡弓の華は、やはりなんと言っても「檀浦兜軍記」の阿古屋琴責めの段です。琴と胡弓の他に、合奏で三味線も弾きますから三曲といわれています。そして番付にも三曲として名前が載ります。例えば、「三曲:鶴澤淺造」といった風に。舞台も華やかで、曲も名曲ですから若手としてはとても目立つ役だと思います。この琴や三味線は技術的にもかなり難しく、私は地方巡業で二公演、本公演で一公演勤めました。二回の地方巡業は三味線は、野澤吉兵衛(きちべえ)師匠と先代の鶴澤燕三(えんざ)師匠で三曲を弾かせて頂きました。本公演の時が一番思い出が深く、師匠・重造の84歳の引退公演の時で太夫は当時の人間国宝・竹本越路大夫師匠と竹本津大夫師匠が、阿古屋と榛沢の役でご一緒して下さいました。稽古は、初めて巡業で勤めた時に現在の人間国宝・鶴澤寛治師匠のお宅へかなり通わせて頂きとても素晴らしい稽古をつけて頂きました。寛治師匠はお若い頃から三味線だけでなく、琴や胡弓の名手でいらっしゃいましたから手本を示して下さり細かい注意を沢山して下さいました。琴は、目立つべきところの弾き方、また胡弓では弾きだしの部分や細かく刻みこんで弾くいわゆる「鶴の巣ごもり」の箇所など何回も手本を示して下さり教えて頂きました。 

写真は現在使っている私の胡弓です。昨年のハムレットの時にホレイショーがハムレットの手紙を読むところを作曲して舞台の袖で弾きました。文楽を退座して以来胡弓を弾くのは初めてでした。

琴も持っていることは持っているのですが、もう20年近く弾いていません。最後に弾いたのはNHK大阪放送局で「本朝二十四孝」の狐火の段だったと記憶しています。これは師匠・重造の引退記念の放送でした。

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