記者会見の準備(2月28日) [稽古の様子など]
記者会見の準備(2月28日)
翌3月1日の『越後國 柏崎 弘知法印御伝記』のロンドン公演のための記者会見で、短時間ですが急遽生演奏することになりました。慌てて、糸を替えたり、三味線をチェックしたり、演奏部分を稽古したりしました。
弟子の角壽太夫の稽古(2月6日) [稽古の様子など]
弟子の角壽太夫の稽古(2月6日)
この日は、10時から私は新潟から上京した弟子の越後角壽太夫の稽古をつけました。「弘知法印御伝記」四段目をちょうど半分くらいまでいきました。離れて暮らして、なかなか稽古をつける機会が少ないので、こういう機会は大変貴重です。
ラリー・コミンズの稽古(12月18日) [稽古の様子など]
ラリー・コミンズの稽古(12月18日)
この日、短い来日中の忙しい合間を縫って稽古に来ました。稽古は、『仮名手本忠臣蔵』三段目の裏門でした。裏門は、始めてから三回目くらいだと思います。そして今回の稽古はこれだけでした。しかしラリーは、とても熱心で、来日するとたとえ一回でも稽古に来ます。
その間父は原稿に向かっていました。
義太夫の稽古(4月23日) [稽古の様子など]
義太夫の稽古(4月23日)
本編に戻りますが、「飛鳥Ⅱ」の旅に出発する前の4月23日から出発直前の5月21日までの出来事がまだでしたので、「飛鳥Ⅱ」の記述と並行していきたいと思います。但し、出発前のことについては相当に端折ってまいりたいと思います。実は記憶も曖昧になっていますし。
2月から月に二回ずつ以前にもご紹介したことのある、キーン先生のコロンビア大学時代の教え子、コミンズさんに義太夫の稽古をしています。コミンズさんは1976年から78年までと1981年に京都大学に留学していた時に、なんと驚いたことに私の兄弟弟子で銀閣寺道に住んでおられた女流義太夫の鶴澤重輝さんに稽古をしてもらっていたそうです。今早稲田大学で研究しておられますが、今回は8月までで、9月にはアメリカに戻られてポートランド大学でまた教えられます。今、菅原伝授手習鑑三段目の「寺入りの段」を稽古しています。
東京公演の為の稽古(10月24日)40 [稽古の様子など]
東京公演の為の稽古(10月24日)40
二週間ほどお休みしてしまい申し訳ありませんでした。
再開します。
私はディレクターの中津義人さんのインタビューに答えました。
ちょっと緊張していたかもしれません。
でもたぶん一生の思い出に残るインタビューでした。
東京公演の為の稽古(10月24日)39 [稽古の様子など]
東京公演の為の稽古(10月24日)39
この日は稽古が終わった後でテレビ番組の為のインタビューがありました。
この日インタビューされたのは八郎兵衛さんと私だけでした。
越後猿八座の引幕の前に写真のように特製の椅子をこしらえてインタビューに答えました。
私のインタビューから始まりました。
東京公演の為の稽古(10月24日)38 [稽古の様子など]
東京公演の為の稽古(10月24日)38
時間は18時でした。
すでに稽古が終わった後ですが、本番さながらの稽古でしたから私も八尋さんも手一杯で稽古の写真は一枚もありません。
拙宅から持参した東京公演のチラシとポスターを、八郎兵衛さん、八島さん、私の三人で点検しています。
たぶん車に積み込んで公演会場に持参する分を区分けしているのだと思います。