横浜港へ三味線を取りに行く(7月16日)1 [その他]
横浜港へ三味線を取りに行く(7月16日)1
朝9時半に家を出て、平井さんと一緒に横浜港に行きました。「飛鳥Ⅱ」が105日間の航海を終えて横浜港に着く日です。最終的には神戸まで行くのですが。
私が「飛鳥Ⅱ」の船上で浄瑠璃の演奏に使った三味線や見台、座布団、衣装など、船にずっと積んであったままだったので取りに行ったのです。4月2日に横浜港で載せたので、やはり横浜港で下さなければならないのです。載せた時と同様に、平井さんの小学校の同級生・北代さんご夫妻が車を運転して下さって大変助かりました。
JR横浜駅まで迎えに来て頂き、横浜港に向かいました。港にちかづくと、あの懐かしい「飛鳥Ⅱ」の姿が見えてきました。倉庫の赤レンガと「飛鳥Ⅱ」がよく調和しているように見えました。
横浜で下りるお客様の荷物が既に下ろされていました。そしてデッキには、たぶん神戸まで行かれるお客様達が手を振っておられました。
細江英公氏の文化功労者顕彰を祝う会(2月25日)26 [その他]
細江英公氏の文化功労者顕彰を祝う会(2月25日)26
一枚目の写真をご覧になって、ああこの写真を撮った人か、と思う方も多いと思います。
この写真も、写真集、『細江英公 展覧会のための 写真集「抱擁」と「薔薇刑」』の「薔薇刑」にありました。
最後のページには、頂いた本の限定番号が売ってあり、細江先生のサインもしてありました。
この日細江先生がお話しになったことで興味深かったのは、
「写真機に興味を頂き始めた頃、絞りやシャッタースピードなど細かいから覚えて行きましたが、今日デジタルカメラの時代になってまた新しいことを覚えなければなりませんでした。
それは初心者に帰ってまた新たに覚えなければいけませんでしたが、そういう経験を二度も出来たということは素晴らしいことでした」
というようなことを言われたことでした。
また東京工芸大学の運営にも深くかかわって来られたことは、芸術家としての能力だけでなくいわば経営面に対しても尽力されてこられたことだと思います。
以上で、この項目を終わらせて頂きます。
細江先生のご健康とこれからの益々のご活躍をお祈りいたします。
そして越後猿八座もいつか細江先生に撮影して頂けるような人形浄瑠璃座に成長したいと思います。
細江英公氏の文化功労者顕彰を祝う会(2月25日)25 [その他]
細江英公氏の文化功労者顕彰を祝う会(2月25日)25
三島由紀夫先生の書かれた序文が、「抱擁」と「薔薇刑」にそれぞれ掲載されていました。
これらの序文を読むと三島先生が細江先生の写真をいかに高く評価していたかが分かります。
細江先生はご挨拶の中で、
「写真が出来てから2039年が200年の記念の年になるのでその時までは頑張りたい」
と頼もしいお言葉を仰っておられました。
三島先生も草葉の陰で細江先生のご活躍を期待されておられることでしょう。
細江英公氏の文化功労者顕彰を祝う会(2月25日)24 [その他]
細江英公氏の文化功労者顕彰を祝う会(2月25日)24
帰りに全員が細江先生の新しい写真集、『細江英公 展覧会のための 写真集「抱擁」と「薔薇刑」』が配られました。
一枚目の写真は、表紙です。
表紙を開くと細江先生のサインがしてありました。
もう一枚を開くと本のタイトルでした。
細江英公氏の文化功労者顕彰を祝う会(2月25日)21 [その他]
細江英公氏の文化功労者顕彰を祝う会(2月25日)21
大野慶人さんの後は女流詩人の白石かずこさんの詩の朗読がありました。
細江先生へのオマージュでした。
写真でもお分かりのように巻紙に詩が書かれていました。
白石さんは私達の世代ではとても馴染みのある、多彩な活動をしておられる詩人ですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%9F%B3%E3%81%8B%E3%81%9A%E3%81%93