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演奏について19(最近の私の稽古) [作曲と演奏について]

演奏について19(最近の私の稽古) 

4月25日から5月6日の心萃房での稽古には私は残念ながら結局一度も参加できませんでした。

その間私がどのように稽古していたかというと、仕事が終って夜8時頃から稽古を始め、一日に二段か三段を1時間半から2時間かけて毎日稽古しました。同じ段を二回繰り返すこともあれば、異なった段を二、三段稽古することもありました。

その都度語りにくい箇所をチェックし、また語っていて語りの音階が三味線の音と違和感がある箇所を修正したりしました。こういった修正は作曲の変更ということになります。

語りにくい個所というのは、主に浄瑠璃そのものの文章が悪いところだと思います。なにしろ義太夫節程には文章的に洗練されていないので仕方がないのですが、プロとして本番で語る以上は間違えたり言い澱んだりすることは許されません。しかし言い訳になるかもしれませんが、16000字以上の文章を一度も間違えることなく語り果せることは至難の業と言わざるを得ません。

文楽の太夫さんや三味線弾きでも生身の人間ですから、名人と言えども間違えることはあると思います。三味線弾きの場合は、無本ですから何百回稽古しているものでも、ものの弾みで間違えることはあります。暗譜して演奏することを文楽では「無本」という言い方をしています。

三味線弾きについて言わせて頂けるなら、どういった時に間違えるかと申しますと、演奏に集中していてもふとした時に、舞台で一瞬頭の中が突然真っ白になることがあるのです。そうすると浄瑠璃の文章も出てこない(思い出せない)、三味線の手(譜)も出てこない、という状態になることがあります。そのことは以前にも少しお話ししましたが、この状態を楽屋用語で、「停電する」と言います。なんとなくお分かり頂けると思います。全てが闇の中、全くゼロになる、て感じでしょうか。

私の場合、古浄瑠璃を語る時は本を前に置いて演奏するので「停電する」という事態に陥ることは先ずないと思いますが、それでも稽古していて経験することですが、どうかした拍子に思い違いしたり間違えたりすることはあります。弾語りするということは、語りと三味線とのバランスの中で行う訳ですから、一方のバランスが少しでも狂うともう片方に悪影響を及ぼすことは明らかです。そういったミスや勘違い、間違いも当然ながら私の実力、ひいては越後猿八座の実力のうちになります。 

自宅で稽古している様子の写真はないのですが、稽古場の様子をご紹介させて頂きます。今日は四段目から六段目まで三段を稽古しました。

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