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信太妻の編曲16(5月8日) [作曲と演奏について]

信太妻の編曲16(5月8日)

 

弾語りしながら本をめくり易いように左のページに三角形の折込を全ページに入れました。

そして今日までに四回くらい稽古をしました。

弾語りしながら本をめくるタイミングは重要です。

三味線を弾いていない時にタイミング良くページをめくるにはどの文章で、またどの間でめくるかというのは稽古の中で経験的に覚えて行く以外にないのです。

まだページをかなりめくり損ねたりしています。

めくるのが早すぎてもいけませんし、遅くなると次の文章を間違えてしまうこともあります。

三味線を弾き続けなければいけない時は、めくるタイミングをはずすと悲しいことになります。

後は稽古稽古だけです。

今日の稽古はかなり八郎兵衛さん始め皆さんにご迷惑をかける結果になるでしょう。

まだ語りの面では、音遣いや強弱、間合い、高低が定まりませんし、三味線の弾き方も間も曖昧な個所が随分あります。

全体としても「弘知法印御伝記」に引きずられている感覚がありそれではいけません。

父と母と子の情愛を語り込むところまではまだまだ行っていません。

これからです。

 

「信太妻」の正本は、延宝年間とあります。

つまり広辞苑には、

「霊験天皇朝の年号。(1673.9.21~1681.9.29)」

とあります。

「弘知法印御伝記」が貞享2年(1685)ですから4年から12年前ということになります。

私にとって作曲する際に重要な節の名称が「弘知法印御伝記」より前の「信太妻」には正本に記載があるのに「弘知法印御伝記」の正本にはないのが不思議です。

原因はいくつか考えられますが、今度お目にかかった時に鳥越文藏先生や和田修先生にもお聞きしてみたいと思っています。

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信太妻の編曲15(5月8日) [作曲と演奏について]

信太妻の編曲15(5月8日)

 

次にいよいよ本を綴じました。

撥巻に使っている和紙を切って三つに折、それを綴じるのに使っています。

二枚目の写真が綴じ終わった状態です。

ここまで来ると、ヤッター!と叫びたくなります。

実はまだまだ稽古しないといけないのですが、・・・。

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信太妻の編曲14(5月8日) [作曲と演奏について]

信太妻の編曲14(5月8日)

 

文楽のお話は一先ず休憩して、今日(15日)に「信太妻」の稽古があるので、「信太妻」のお話しに戻りましょう。

5月8日にやっと、いわゆる文楽で言う「本書き」が終わりました。

最後に書き終わった日付を入れるのはなんとも気持ちの良いものです。

最後は、「なかりけれ」という文で終わっています。

日付を入れ終わった後、一応順番が間違っていないか確認して、その後表紙を書きました。

とても下手な字ですが、「信太妻 越後角太夫」と書きました。

三段目に当たりますから、正本にあるように「第三」と書こうと思いましたが、止めました。

別にこれと言った理由はありませんが、その方がなんとなく説経浄瑠璃の本という感じがしただけです。

この状態で何回か稽古し、朱(譜)を書き変えたり、文章の間違っていたところを直したりしました。

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信太妻の編曲13(5月4日) [作曲と演奏について]

信太妻の編曲13(5月4日) 

同様に写真のように、「かたもなし」の前に「三重」という節の名称が書かれてあります。

これは有難いことに義太夫にもある節です。

文弥節でも多く出て来る節ですが、義太夫節の「三重」とはかなり違っています。

この部分も長尾閑月さんの録音は、「三重」とは思えない節だったので私なりに変えました。

節の名称の意味するところは、意外と単純だと思っています。

「三重」の意味するところは、明らかに節をなんらかの形で三回重ねる、ということです。

義太夫節の「三重」もそのようになっています。

それで私は、「かたもなし」の部分の「三重」を、義太夫節の「三重」を参考にして作曲してみました。

他にも「イロ」となっている部分で、明らかに「イロ」になっていない部分も全く違う節に作曲しました。 

このように古浄瑠璃や説経浄瑠璃を作曲した300年も400年も前の偉大な先人達が、どのような思いでどんなことを考えながら曲作りをしたかを想像しながら曲を作ることは、私にとってこの上もない楽しみです。

こういった楽しみを他の人にも分け与えることが出来たらどんなに嬉しいか、と思いつつ作曲や本書きを進めています。

今後も古浄瑠璃を作曲する際には、節の名称は私にとって重要な水先案内人になると思います。

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信太妻の編曲12(5月4日) [作曲と演奏について]

信太妻の編曲12(5月4日) 

このところ夜1時間半くらい信太妻の本を書いています。

進行状況は思った以上に進んでいると思います。

「弘知法印御伝記」で古浄瑠璃の作曲や本書きを一度経験しているからだと思います。

3分の2近くまで書き終わったようです。 

赤木文庫からダウンロードした正本と活字の文章とを見比べながら、文章と朱(譜)を手書きしていることは以前にも書かせて頂きました。

活字の文章は、私が想像していた以上に正本を忠実に写し取っています。

どなたか古浄瑠璃の研究者の方が写し取ったと思いますが、大変なご苦労だったと思います。

非常に正確だと感心することしきりです。

正本は、「弘知法印御伝記」と同様、漢字は非常に少なく殆どがひらがな文字で書かれていますが、活字に直す時は読み易いように漢字に直してある個所もかなり多くあります。

古浄瑠璃時代の正本は、鳥越先生も仰るようにやはり漢字の読めない庶民にも読めるようにひらがなが多くなっていると思いました。 

「弘知法印御伝記」の正本との大きな違いは、節の名称がところどころに書いてあることです。

これは私が曲を作る際に大変参考になり大いに利用させてもらっています。

曲を作る際の目安としてはものすごく有難いことです。

ただ、「フシ」とだけ書いてあるところもありますが、それだけでも違います。

私が参考にしている音源、長尾閑月さんの演奏を聞いていると正本の節の名称と明らかに違っているところがかなり多く見受けられました。

そういう個所は私なりに全く変えてしまいました。

 例を挙げてご説明したいと思います。「心細さは限りなし」という文章があり、先ず一枚目の写真で活字にその文章の前に「七ツユリ」と節の名称が書いてあります。

二枚目の写真の正本にも、小さな文字ですがその通りの記述があります。

この「七ツユリ」という節は義太夫にはないと思いませんが、「三ツユリ」はあります。

つまり三回節を揺る、ということなのです。

古浄瑠璃は義太夫節よりも節は単純ですから、これは先ず節をなんらかの形で七回揺っていただろうと私は考えました。

そしてそのように作曲しました。

その結果の朱(譜)が三枚目の写真になります。

「限りなし」の「なし」のところで七回節を揺るようにしました。

これが当時の節と同じとは全く考えていませんが(かなり違うと思いますが)、基本的な考え方としては間違っていないと思います。

こういった部分に関しては、編曲ではなく私の作曲になるかもしれません。

そして四枚目の写真のように、本を書く際にも正本と同じ個所に節の名称「七ツユリ」を書きこみました。

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信太妻の編曲11(4月25日) [作曲と演奏について]

信太妻の編曲11(4月25日)

 

この日は枕の部分をこれだけ書きました。

さて書き終わるのはいつになることやら。

8月末が猿八の鳥越文藏先生の講座でその時に試演会を予定していますから、最悪でも7月中旬には仕上げたいところです。

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信太妻の編曲10(4月25日) [作曲と演奏について]

信太妻の編曲10(4月25日)

 

他に準備するものは、いつも私が使っている和紙の原稿用紙と黒と赤の筆ペンです。

原稿用紙は、銀座のITO-YAで買います。

タイトルを書きました。

正本の通り、「しのだづまつりきつね付あべの清明出生」と書きました。

でもここでは「付」を書き忘れています。

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信太妻の編曲9(4月25日) [作曲と演奏について]

信太妻の編曲9(4月25日)

 

準備した必要な資料です。

 

先ず一枚目の写真ですが、朱(譜面)の最終稿です。

二枚目は、赤木文庫のHPからダウンロードして印刷した正本です。

今日気がついたのですが、細かく読んで行くと抜けているページがあるようです。

とても細かくてダウンロードした写真だと読みにくいのですが、これを一字一字読みながら活字と見比べて文章を書いて行きます。

三枚目は、活字をコピーしたものです。

義太夫の場合も、こういう作業をすることはかなりありました。

つまり丸本と活字本と師匠や先輩からお借りした本を見比べながら書いて行くわけです。

正本や丸本は常に最終的に行き着くところです。

なにか分からないところがあると必ず正本や丸本に立ち返ります。

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信太妻の編曲8(4月25日) [作曲と演奏について]

信太妻の編曲8(4月25日)

 

ここで7月12日の公演後の打上げパーティに移る前にちょっと話題を変えさせて頂きます。

信太妻の編曲のことです。

ハムレットの欧州公演が残念ながら中止になったので、いよいよ信太妻の本書きを始めることにしました。

昨晩(4月25日)からとりかかりました。

一応曲作りが出来あがったと判断したので本を書き始めることにしました。

おそらくまだ曲は変わると思いますが八郎兵衛さんとも人形の動きの確認もしましたし、基本的にはほぼこれで出来たと判断させて頂きました。

演奏時間は約1時間ですが、本を書くのはどのくらいの日数と時間がかかるのかちょっと見当がつきません。

「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の場合は、全段(約三時間の演奏時間)書き終わるまでにどのくらい時間がかかったのか分かりません。

ただ一昨年の四月に一ヶ月間近く肝炎の治療(インターフェロン)の為、入院していた時副作用のない時間を利用してかなり集中して能率的に書いたことは確かです。

これからほぼ毎日、おそらく夜11時か12時頃に30分から1時間ほど時間を割いて書き続けることになると思います。

 

先ず、写真のように本を書くのに必要な資料を机の上に準備しました。

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信太妻の編曲7 [作曲と演奏について]

信太妻の編曲7

 

信太妻の編曲の進捗状況についてご報告させて頂きます。

第三稿は一週間ほど前に終わりました。

それが一枚目と二枚目の写真の最後の7ページ目です。

鉛筆で入れて行った朱(譜)を見ながら稽古を始めたのですが、コピー用紙に鉛筆書きしたものはとても見え辛くて間違え易いことに気が付きました。

そこで赤のサインペンでまた最初から書き直し始めました。

書き直しは今だいたい3ページ目の途中です。

それが三枚目と四枚目の写真です。

 

今月末に八郎兵衛さんが心萃房に来られる予定です。

その時第一回目のお披露目(?)をすることになっています。

まだ完成には程遠いのですが取り敢えず聴いて頂きご意見をお聞きし修正を加えていきたいと思っています。

「弘知法印御伝記」に比べて詞(ことば)が全くなく節や色ばかりですから少しは古浄瑠璃らしくなっているかもしれません。

しかし私が曲を作ると、前にもお話ししたように長尾閑月さんの演奏を参考にしたと言っても、相当義太夫的になっていると思います。

そして文弥節のような哀切感や単調さ、そして不思議な明るさに欠けているように思います。

この不思議な明るさを最近過去の文弥節を聴きながら感じることが多いのですが、これは江戸時代初期の頃の民衆が根本的に持っていたものかもしれません。

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