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信太妻の編曲5 [作曲と演奏について]

信太妻の編曲5

 

「信太妻の編曲1」の時に、なぜ作曲と言わず編曲としたかについて説明をさせて頂くとお話していながらそのままになっていました。

 

http://echigo-kakutayu.blog.so-net.ne.jp/2009-10-12-3

 

今回ようやくそのことについてお話しさせて頂きます。

実は佐渡の文弥芝居でかつて信太妻が演じられていたことがあったそうです。

しばらく途絶えていて写真のカセットのレーベルに記載があるように1984年に復活されたそうです。

この辺の経緯について私は八郎兵衛さんからお聞きしたことを今お話していますが、私の記憶に誤りもあるかもしれません。

誤りがあるようなら又訂正させて頂きたいと思います。

また聞きそびれてしまっていることもありますので、分かり次第お話しさせて頂きます。

写真のカセットテープは、既に故人でいらっしゃいますが羽茂の大崎座の長尾閑月さんという太夫さんが語っておられます。

長尾閑月さんの生没年は分かりません。

度々引用させて頂いている「佐渡ヶ島 芝居ばなし」に長尾さんのことはしばしば出てきますが、生没年は見当たらないようです。

八郎兵衛さんにいつかお聞きしてみたいと思います。

いずれにしても以前お話しした中川閑楽さんのお弟子さんです。

中川閑楽さんを私が高く評価していることも以前お話させて頂きました。

 

カセットテープのレーベルにはA面31分、B面42分とあります。

つまり信太妻三段目は長尾さんの弾語りで、合計73分かかるということです。

全体の曲調として初めて聴いた印象は、単調で哀調を帯び、哀れを誘ういかにも古浄瑠璃らしい、そして佐渡に伝わる文弥節らしい情緒があり、親子の情愛がしみじみと感じられ名演奏だと思いました。

そして一人遣いの人形には相応しいと思いました。

 

そして私は自分で最初から曲を作るよりもある程度長尾さんの曲調を重んじて曲作りをすべきだと思いました。

そしてそのように曲を現在作っているつもりです。

ですから作曲とせず、敢えて編曲と致しました。

 

長尾さんの語りと三味線を少しずつ聴きながら作譜しています。

どうのように編曲しているかについてお話をさせて頂きます。

 

三味線の朱(譜)を作っていくに当たって、長尾さんの演奏で、ほぼ同じ個所に同じ曲が繰り返し出てくるところは微妙に変えるように敢えて心がけています。

同じ曲を同じ個所で繰り返すことは長尾さんの特徴でもあり、素朴かつ単調に淡々と聴かせるという長所もあるのですが、私はそれをむしろ不自然と考えて少し変えるようにしました。

それが正しいのかどうかは分かりませんがそのようにしました。

しかし敢えて繰り返した個所もあります。

古浄瑠璃の時代にそこまで微妙な変化を考えたかどうかは疑問ですが、正本を見ると節には意外に細かい指定があるので、当時の演奏者は意外と細かく気を配っていたのではないかとの私の推測でもあります。

義太夫の時代になると同じ節を二度使うことはご法度になって来ますが、そのようなことも若干考えました。

長尾さんの演奏は、佐渡の文弥節の演奏の常として譜もないまま行われますから、語りの間に思い付いたままに三味線を入れて行く、という傾向が有り勝ちですが、それが独特の面白さを引き出しています。

しかし文章のつながりの悪いところに三味線が入るという欠点も指摘できます。

こだわりのない自由さといったものを感じますが、悪く言えば行き当たりばったり風にも聞えます。

ですから演奏する度にその都度曲や節が違っている、ということも大いにあると思います。

八郎兵衛さんもそのようなご意見だったように思います。

そういったことも古浄瑠璃らしいこだわらない独特な雰囲気を創り出しています。

かつては盲人だけの間でもう少し厳格に継承されていたように思いますが、実際はどうなのでしょう。

 

私の知人で長尾さんと同郷の佐渡の羽茂のご出身の方がおられ家も近く少年時代に身近に接しておられた方がいました。

その方が以前に私が長尾さんのテープを聞きながら信太妻の曲作りを始めたと聞き、長尾さんについて貴重なお話をメールで寄せて下さいました。

それによると長尾さんは若いころ相撲の修行をしたこともあるらしく、草相撲大会ではいつも優勝しておられたそうですから、相当腕っぷしも強随分がっしりした体格の方だったようです。

40歳はすぎたぐらいの長尾さんに、20代の若者が挑むのですが、とてもかなわなかったそうです。

またNHKの「素人のど自慢大会」では、佐渡おけさを「ハアー、佐渡ええ」と歌いだすともう鐘が乱打され、村人達はあきれかえっていたと言いますから、声も音感も良い方だったと思われます。

メールで長尾さんのことを教えて下さった私の知人は、学童と学生の時代に長尾坂の長尾さんに呼び留められて相撲甚句や文弥節の一節のひとくさりを時々聞かされたと言ってその頃のことを懐かしんでおられました。

私の現在知る限りの長尾さんの人となりは以上です。

 

このことからも分かるように民謡も随分唄われた方のようです。

それは長尾さんの「信太妻」を聴いていても分かることでした。

民謡の影響と思われる節の使い方が随所に見られるからです。

昭和50年代のこの時代になると佐渡の文弥節には民謡や浪花節の影響がかなり出てくるように思われます。

私はそういった節の使い方を良しとはせずに、長尾さんのそういう節は避け全く違う節にさせて頂きました。

浄瑠璃は時代と共に変化するのは当然の成り行きなのであり他の音曲からの影響もあっても良いとは思います。

義太夫にしても種々雑多な音曲の寄せ集め、と言っても過言ではありませんから。

但し、民謡や浪花節の影響となると浄瑠璃には相応しくないと考えています。

理由は浄瑠璃としての雰囲気や品性を損ねてしまうからです。

 

また「信太妻」の正本には浄瑠璃の文章にところどころ節の名称が簡単ですが書きこんであります。

これは「弘知法印御伝記」の正本と違う点です。

これは演奏者にとって非常に大きい手助けになることです。

正本に記載のある節の名称を長尾さんは無視しておられることが多いのですが、私の場合は義太夫節の節を参考にして節の名称を考慮にいれつつ曲作りをしました。

例えば、「イロ」という名称があるとすると義太夫節で言う「イロ」で語るようにしました。

但し、古浄瑠璃時代の「イロ」と義太夫節になってからの「イロ」が同じだったかどうかは差だけではありません。

 

以上、思いつくままにだらだらと曲作りのこと編曲の方法などを書かせて頂きましたが、どんな曲になるのか全く見当もつきません。

また言葉では言い尽くせないことも多くあります。

いずれまたお話しさせて頂ければと思います。

そして長尾さんの素朴で哀調を帯びた曲調が少しでも反映できればと思います。

しかしこれはかなり難しいことで結局は義太夫色の強い長尾さんのものより重い感じのする曲調になってしまうのではないかと危惧しています。

長尾さんの演奏時間は73分かかりましたが、私は民謡的色彩を排していますのでおそらく65分かそれ以内ですむように思います。

 

編曲の進捗状況は、今第二稿がほぼ終わりに近づいています。

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