女流義太夫の華・竹本朝重さん最後のリサイタル(平成18年11月8日)7 [思う事など]
女流義太夫の華・竹本朝重さん最後のリサイタル(平成18年11月8日)7
この項目の最後の写真です。私が朝重さんと最後に撮った思い出の写真です。私の着ている着物は全て師匠・重造の形見です。帯は見えていませんが、名女優・山田五十鈴さんから師匠がプレゼントされたものでこの帯を師匠は愛用しておられました。師匠が山田五十鈴さんにお稽古をつけに行く時はいつも朝重さんが同道していましたから、朝重さんは山田さんとも親しくしておられました。私は山田五十鈴さんが師匠に下さったお手紙も師匠の形見として持っています。
山田五十鈴さんの三味線は見事でした。
なにをやられても一芸に優れた女優さんでしたし、やはりものすごい勉強家でいらしたと思います。
「女流義太夫の華「竹本朝重さんを偲ぶ会」~「芸」と「人」へのオマージュ~」(11月3日)のチラシはこちらのブログでご覧下さいませ。皆様のお越しをお待ちしております。
女流義太夫の華・竹本朝重さん最後のリサイタル(平成18年11月8日)6 [思う事など]
終演後のパーティでご挨拶する竹本朝重さんです。お疲れも見せずにおひとりおひとりに丁寧にご挨拶をして下さいました。こういったお人柄だからこそ誰からも慕われたのだと思います。
本当に人格者でいらっしゃいました。
女流義太夫の華・竹本朝重さん最後のリサイタル(平成18年11月8日)5 [思う事など]
舞台の写真がなくて申し訳ありません。ここからは終演後の写真です。終演後楽屋で関係者が集まって楽しいパーティになりました。
乾杯の後、皆さんで飲んだり食べたりしているところです。
女流義太夫の華・竹本朝重さん最後のリサイタル(平成18年11月8日)4 [思う事など]
ロビーのお客様や受付の様子です。受付にはお弟子さん達の七宝の会のメンバーや朝重さんの妹さんの西川礼子さんらがいらっしゃいました。そして女流義太夫の方達も沢山お見えになっていました。
開演を待つロビーの様子とお客様の写真です。
「女流義太夫の華「竹本朝重さんを偲ぶ会」~「芸」と「人」へのオマージュ~」(11月3日)のチラシはこちらのブログでご覧下さいませ。
皆様のお越しをお待ちしております。
女流義太夫の華・竹本朝重さん最後のリサイタル(平成18年11月8日)3 [思う事など]
お客様はお年寄りから若い方まで幅広い年齢層でした。朝重さんには多くのファンがいらしたことが分かります。お弟子さんも沢山おられ私も随分お声をかけて頂きました。久しぶりの方が殆どでしたのでとても懐かしかったです。
文楽を辞めてから初めて会う方が殆どでした。
越後猿八座の東京公演のチケットですが、10月31日の分は9月16日をもってお蔭さまで完売致しました。また10月30日(土)のチケットも10月15日(金)をもってお蔭さまで完売致しました。誠に有難うございました。両日とも売り切れましたので、キャンセル待ちとさせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。越後猿八座の東京公演(10月30日、31日)の情報はこちらです。女流義太夫の華・竹本朝重さん最後のリサイタル(平成18年11月8日)2 [思う事など]
ロビーにはファンやお弟子さん達からの沢山の花が飾られていました。そして師匠の故・四世鶴澤重造師匠の写真も飾られていました。
師匠思いの朝重さんらしい心配りだと思いました。
女流義太夫の華・竹本朝重さん最後のリサイタル(平成18年11月8日)1 [思う事など]
これまでにも何度が書かせて頂きましたが、私が文楽時代に大変お世話になった二代目竹本朝重さんのことを書かせて頂きます。
朝重さんは平成20年11月3日に76歳で亡くなられた女流義太夫界の重鎮でいらっしゃいました。
この11月3日に渋谷のセルリアンタワー能楽堂で「竹本朝重さんを偲ぶ会」が開かれますが、私も鼎談で出演させて頂きます。チラシは近日中に私のもう一つのブログで掲載させて頂きます。
こういった会が催されること自体、朝重さんの卓越した芸と、そして誰からも慕われ尊敬されたお人柄故のことだと思います。以前にも何回か書かせて頂きましたが、朝重さんと私とは鶴澤重造門下で同門の先輩でした。そして朝重さんには大変お世話になりました。
今回ご紹介する朝重さんのリサイタルは、「第39回竹本朝重里さいたる」は毎年続けて来たリサイタルの、朝重さんにとっては最後のリサイタルでした。
既にこの時、持病の肝臓病が悪化されていて入退院を繰り返されている中でのリサイタルでした。その後入院する時期が長くなり、舞台のある時には一時的に退院されてご自宅から舞台に通っておられました。
お亡くなりになる直前まで舞台をきちんとつとめられ、芸道一筋、芸にのみ真摯に生きて来られた方でした。ある意味で壮絶な生き方をされた芸人と言えるでしょうが、朝重さんにとっては幸せな人生を全うされたと思います。
最後のリサイタルでは、「伊賀越道中双六」六段目沼津の段を語られ大きな感動を呼びました。
この時の舞台の写真はありませんし、まだブログを書き始めるかなり以前のことだったので写真も枚数も少ないのですが、ご紹介させて頂きます。
先ず会場の入り口と看板です。
思う事など12(追悼 吉田玉松さん)其の三 [思う事など]
思う事など12(追悼 吉田玉松さん)其の三
三番叟の絵はとてもいいです。
それもその筈、「しげを画」となっていますから、間違いなく漫画家の宮尾しげをさんの絵です。
宮尾さんは、私が文楽研修生の時代に講師として来て下さいました。
岡本一平の弟子だったんですね、今回調べていて初めて知りました。
http://kotobank.jp/word/%E5%AE%AE%E5%B0%BE%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%92
「吉田玉松」の字も宮尾さんの書によるものでしょう。
いかにも玉松さんの手拭らしい感じがしてとてもいい感じです。
最後に今一度、玉松さんのご冥福をお祈り致します。
思う事など12(追悼 吉田玉松さん)其の二 [思う事など]
思う事など12(追悼 吉田玉松さん)其の二
吉田玉松さんの奥さまから頂いたお手紙の中に玉松さんの手拭がはいっていたのでご紹介させて頂きます。
三番叟の滑稽な方の人形の絵が描いてありますが、この役は玉松さんの十八番、得意中の得意の役だったと思います。
私もとても印象に残っています。
良い記念の品を頂いて奥様にとても感謝しています。
ちょっと勿体なくて使うに使えませんが、手拭はやはり使ってこそ意味がありますし、その方が玉松さんも喜んで下さるでしょう。
ですから三味線の棹拭きにさせて頂こうと思っています。
しかししばらくは使わないでおきます。
思う事など12(追悼 吉田玉松さん)其の一 [思う事など]
思う事など12(追悼 吉田玉松さん)其の一
文楽の人形遣い、吉田玉松さんが3月18日午前3時18分に亡くなられました。
新聞にも報道されたようですが恥ずかしいことに、私は先月玉松さんの奥様からお手紙を頂いて初めて知りました。
奥様からお手紙を頂いてとても驚き慌ててお電話をしました。
奥様のお話では、苦しまれることもなく安らかに眠りにつかれたそうです。
76歳、とのことでした。
心からご冥福をお祈りいたします。
また貴重な人形遣いがひとり文楽から去ってしまいました。
玉松さんは、2007年に引退され南房総市に住んでおられたそうです。
南房総市に住まわれたのはもっと以前からかもしれません。
私が最後に玉松さんのお声をお電話で聞いたのは確か昨年の12月頃だったと思います。
11月に奥様が朝日新聞の「ひと」の欄に私が掲載されたのをご覧になって、
「懐かしくて電話しました」
と言ってお電話を下さいました。
それから電話でお話しする機会が出来たのですが、私が、
「玉松さん、そのうちに会いに行きますから元気にしていて下さいよ」
と言うと、
「おお、おお」
と、とてもお元気そうなお声でした。
まさか亡くなられるとは思いも寄りませんでした。
奥様にも、暖かくなって仕事の休める時に行きますから、とお約束していたのにお目にかかれず非常に残念です。
玉松さんとは、なぜかなんとなくご縁があって人形遣いさんの中では親しくさせて頂いていました。
私の師匠・鶴澤重造と玉松さんのお父様とが親しかったということもあるかと思います。
玉松さんの襲名披露の時には、三味線部の代表として口上の席に師匠が並びご挨拶の言葉を述べさせて頂きました。
また随分前ですがこのブログの中でもご紹介させて頂いたバーバラ足立さんともとても親しくしておられました。
私の個人的な会に何度か玉松さんに人形解説をお願いしたこともありました。
玉松さんはとても気さくで明るいご性格でだれからも慕われていたと思います。
芸風にもご性格がよく現れていて、すっきりとした遣い方で娘役や女房役以外は殆どなんでもこなせるという実に優れた人形遣いさんで、いつも舞台を拝見するのが楽しみでした。
生の舞台姿を見れなくなって本当に寂しい限りです。
写真は、玉松さんの奥様が送って下さいました。
48歳の頃のお写真だそうです。
お葬式の時に飾られたお写真のようです。
写真の前には三番叟の人形が飾られています。
玉松さんのお得意な役だったと思います。
玉松さんの遣われる三番叟はとてもひょうきんで可愛い三番叟でした。