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作曲について3(完成までに 其の一) [作曲と演奏について]

作曲について3(完成までに 其の一)

 曲が完成するまではどのようなことをするのか大まかですがお話しさせて頂きます。これも私なりの方法です。先ずワープロ打ちした文章を読み易いようにA3の大きさに拡大してプリントしたもので本読みします。

下の写真がそれですね。六段目の枕(冒頭)です。

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 何回も読んでいるうちに曲の構想がなんとなく浮かんで来ます。この辺で盛り上げたいとか、ここは少しじっくり聴かせたいとか、ここはあまり凝らずに比較的さらっとした方がよいのでは、などと考えつつ、また人物の性根や姿なども思い浮かべながら全体の曲調を考えます。そして細部に入っていきます。

古浄瑠璃の場合は、年代的にはその後の義太夫節に比べて場面や物語が変わる時に「さてもその後」とか「かかる折節」、「これはさておき」とかいう文が多用されて、とてもスピーディに物語が展開していきます。これを称して最近私は、この表現が正しいかどうかは別として、マンガ的とかアニメ的とか言っています。こういう時には文弥節からヒントを得て、はっきりと場面や物語が転換していく時の節(ふし)をつけています。

このような節のお話はまた別の機会に譲るとして、詞(ことば、つまり通常の演劇では台詞または科白と言いますが、浄瑠璃では必ず詞と言っています)の部分と節をつけて歌うように語る部分をどうするか?また詞と節の中間、これを色とか地色とか言うのですが(この説明も後に譲ります)をどこの部分でどう効果的に使うか、などということも何回か読んでいる内に構想が湧いてきます。大まかに自分の頭の中で全体の構想らしきものが浮かんできた時点で、三味線を持って実際に弾き、語りながら譜を鉛筆で書きこんでいきます。一度出来上がったら、別の新しくプリントして台本を用意し一度目のものを手直ししながらやり直します。そしてまたもう一度同じことを繰り返します。ですから鉛筆書きは計3回繰り返し練り直します。3回目でようやく終わりに近づきます。

写真は、鉛筆で朱(しゅ)を書きこんだところです。 これは初段の三回目の鉛筆書きのものです。

すみません、これからは譜という言い方はせずにこれまで文楽の時代に言い慣れた「朱」という言い方をさせて頂きます。浄瑠璃の世界では、「朱」という言い方を常にしているものですから。

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 こういった作業をしていく段階で常に二つの資料を、一字一句漏らさず見比べながら進めて行きます。

一つは鳥越文藏先生とチャルズ・ダン氏(故人)が監修された「古浄瑠璃集[大英博物館本]」です。

写真は、五段目の終りと六段目の初めの部分のページです。

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 後一つは大英博物館にしか残っていない「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の原本のフィルムをコピーしたものです。鳥越先生が大英博物館から持ち帰られたフィルムをコピーして頂きました。但し、おそらく大英博物館の所有ということもありこの場でそれを写真として公開することは避けさせて頂きます。鳥越先生が昭和38年に発見されて持ち帰られた時はまだそういったセキュリティが緩かったのだと思います。

ここでは「古浄瑠璃集[大英博物館本]」のページからその部分の写真で、だいたいこんなものということを知って頂きたいと思います。初段の一番最初の1ページだけが掲載されています。

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本読みも作曲も、常にこの二種類の資料とワープロで打ち込んだものを行ったり来たりしています。三か所を飛び回っているという感じでしょうか。


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