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りゅーとぴあ劇場「ハムレット」公演の稽古9(9月6日) [越後角太夫と西橋八郎兵衛について]

りゅーとぴあ劇場「ハムレット」公演の稽古9(9月6日) 

撮影は、勿論星野さんです。

三人の使い魔は、ポーランドで舞台を経験して来たので久しぶりの稽古とは言え、手順などはかなり身についていて間合いや息も以前に比べてずっとしっかりしていました。

 
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速報、朗報!八郎兵衛さんがBlogを開設 [越後角太夫と西橋八郎兵衛について]

速報、朗報!八郎兵衛さんがBlogを開設

 

八郎兵衛さんがBlog「猿八座Saruhachi-za 佐渡の人形遣いの独り言」を開設されました。

是非アクセスしてみて下さい。

私にはないユーモアと楽しさで、また私とは違った情報も載せて下さると思います。

私のBlog共々宜しくお願い致します。

 

http://saru8ken.blogzine.jp/


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12月12日(土)と13日(日)、「中年楽団の一夜」に八郎兵衛さん出演 [越後角太夫と西橋八郎兵衛について]

12月12日(土)と13日(日)、「中年楽団の一夜」に八郎兵衛さん出演

 

12月12日(土)と13日(日)の「中年楽団の一夜~師走の章~」に八郎兵衛さんが出演なさいます。

八島さんからの情報では、どこかでピアノと一緒に踊られるそうです。

私は残念ながら両日とも用事があって行けないのですが、きっと楽しい会になるでしょう。

歌とギターの大須賀さんは以前に私もお目にかかったことがあります。

確か、本田美奈子さんのミュージカルにも出ておられた方です。

本田美奈子さんの最後のステージは新潟県民会館だったそうですがその時もご一緒だったとお聞きしました。

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西橋八郎兵衛(健)と越後角太夫(淺造)の共演について その3 [越後角太夫と西橋八郎兵衛について]

《西橋八郎兵衛(健)と越後角太夫(淺造)の共演について》その3

 

 2007106日(土)東京・谷中の全生庵《注1》で「五世鶴澤淺造の会」を開催しました。全生庵は、私の長年の友人で噺家・林家正雀《注2さんのご紹介でした。多くの方達のご協力のお蔭で初めての東京での独演会が実現しました。

この日、90名様ほどのお客様の中にドナルド・キーン先生と鳥越文藏先生に来て頂き大変嬉しく思いました。

当日のプログラムは以下の通りでした。 

  • 「御祝儀 三番叟」浄瑠璃 鶴澤淺造、人形 西橋健   
  • 「人形解説」西橋健
  • (休憩30分)
  • 「壷坂観音霊験記」よりお里のさわり   
  • 「傾城阿波の鳴門」八段目十郎兵衛内の段 

この時にも西橋さんに特別出演をお願いして二人で、「三番叟」を共演しました。当日のご挨拶状を掲載させて頂きます。 

ご挨拶本日は、ご多忙の中を「五世 鶴澤淺造の会」にご来場頂き、誠に有難うございます。私は、文楽座を退座以来、約十年間のブランクの後の演奏活動を昨年より始めたばかりです。大変拙い芸ではございますが、恩師・四世鶴澤重造を始めとして諸先輩から学んだことの一端をお聴き頂ければ幸いでございます。今後は義太夫節だけでなく、本日客演して頂く佐渡の西橋健さんとも協力し合い、古浄瑠璃の世界にも深く研鑽を積んで参りたいと思っております。今後とも皆々様の御指導とご鞭撻を、くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

 《注1http://www.theway.jp/zen/《注2http://syouhachi.hp.infoseek.co.jp/ 

西橋さんと三番叟を上演するDSC02808.jpg 三番叟を演ずる西橋さんDSC02811.jpg 「鳴門」を弾き語りする淺造DSC02903.jpg 全生庵のご住職・平井正修老師のご挨拶DSC02946.jpg   


西橋八郎兵衛(健)と越後角太夫(淺造)の共演について その2 [越後角太夫と西橋八郎兵衛について]

《西橋八郎兵衛(健)と越後角太夫(淺造)の共演について》その2

 

 説経浄瑠璃「小栗判官」(作曲:越後角太夫)を2007825日の鳥越文庫夏季講座(佐渡市猿八・旧猿八分校)で、プログラム外でしたが初演しました。照手姫を西橋が遣い、君の長(きみのちょう)を永野隆子さんが遣いました。永野さんは番外とはいえこれが初舞台でしたが、見事に遣って下さいました。

 その後2007917日佐渡市両津のやまきホテルでも同様な配役で上演しました。

法政大学教授・田中優子先生が塾長をつとめられる神田明神塾の塾生さんたちを対象に上演しました。最初に田中先生に解説をして頂き、「小栗判官」を上演し、その後で田中先生、西橋、越後角太夫の三人で鼎談を致しました。田中先生の司会は素晴らしくとても有意義な鼎談だったと思います。その後塾生さんに舞台に上がって頂き文弥人形を体験して頂きました。永野隆子さんはこの時が正式な初舞台でしたが、上々の出来栄えでした。

以下はその折の写真です。

IMG_3791.jpg IMG_3787.jpg IMG_3792.jpg IMG_3798.jpg IMG_3805.jpg

西橋八郎兵衛(健)と越後角太夫(淺造)の共演について その1 [越後角太夫と西橋八郎兵衛について]

《西橋八郎兵衛(健)と越後角太夫(淺造)の共演について》その1

20068月、鳥越文庫夏季講座で近松門左衛門作「嫗山姥」の一部(通称しゃべり)を角太夫の作曲で初めて共演。「三番叟」を20075月に新潟市の矢代田神社と、8月に小栗判官・車曳きの場(作曲・角太夫)を佐渡市で共演。10月に東京谷中の全生庵、20083月にホテル日航新潟(ドイツ大使歓迎会)で「三番叟」。

以下の三枚の写真は、2007年(平成19年)5月に幻の酒米「白藤(しらふじ)」を田植えする為に新潟市の矢田神社で「三番叟」を奉納した時のものです。

この時初めて、私は義太夫の太棹三味線の音では、シンプルで可愛い遣いかたをする一人遣いの人形には重すぎてバランスが悪いと考え、太棹の三味線に地唄の駒を掛けることで音をより軽くするように工夫してみました。これ以降は西橋さんと共演する時はそのようにしています。 

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以降、後日、他の共演の写真も掲載させて頂きます。


西橋 健の略歴 [越後角太夫と西橋八郎兵衛について]

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立役を指導する。

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女形を指導する。

《西橋 健の略歴》

1948年、北海道札幌市生まれ。1970年、早稲田大学第一文学部演劇科を中途退学、文楽人形遣い吉田簑助《注1に入門、吉田簑司の芸名で舞台を勤める。

1979年文楽を退座し佐渡に移住、文弥人形「大崎座」に入座。現在は文弥人形「真明座」の遣い手として活動中。また、1995年「猿八座」を旗揚げし、説経節「信田妻」《注2》、「小栗判官」《注4など古曲の復活上演や文弥節以外の邦楽(冨本節、長唄、多摩説経節、横笛など)、洋楽(オペラ、モダンジャズなど)、朗読、舞踏などと国内外で共演。伝統人形芝居の継承と可能性を求める活動を続けている。大学時代の恩師、鳥越文藏先生により寄贈された演劇図書を収めた鳥越文庫《注》という市立図書館が西橋の住む佐渡・猿八にあり、毎年、伝統芸能の研究者を招いて「鳥越文庫・夏季講座」が開催されている。

今後、鳥越文藏先生にお願いし新たに芸名をつけて頂く予定があります。

また、平成20年3月26日の日本経済新聞の文化欄に西橋さんの紹介記事が掲載され、越後猿八座の活動や「弘知法印御伝記」についても紹介して頂きました。

《注1》        吉田簑助

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E7%B0%91%E5%8A%A9

《注2》        信田妻

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E3%81%AE%E8%91%89

《注3》        鳥越文庫

http://lib.city.sado.niigata.jp/torigoe/torigoe.index.html

《注4》        小栗判官

http://ogurihangan.hp.infoseek.co.jp/densetsu.html

 


越後 角太夫(えちご かくたゆう)の略歴と芸名について [越後角太夫と西橋八郎兵衛について]

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上の写真は、1月20日の稽古で、私(越後角太夫)が、りゅーとぴあの練習室で座員の皆さんに初段を弾き語りして聴いてもらっているところです。人形を遣う基本のひとつには、浄瑠璃を覚えること、ということがあります。浄瑠璃を覚えてもらわないと人形の動きが分からないことも多くあります。また浄瑠璃を覚えて人形を遣うことで、人形に魂がはいります。

《越後 角太夫(えちごかくたゆう)の略歴と芸名について》

1950年、新潟市(旧・巻町)生まれ。東京外国語大学(フランス語学科)卒。大学在学中に、国立劇場文楽研修生第一期生となる。1972年、義太夫節の三味線弾きとして四世鶴澤重造(じゅうぞう)に入門。師匠の前名・淺造(五世)を名乗り、人形浄瑠璃文楽座(ユネスコの世界無形文化遺産)に所属。国立劇場で「絵本太功記」にて初舞台。以降、文楽座の定期公演、放送番組、その他国内外の公演に出演し、年間約200日間の舞台を勤める。また、舞踊の地方(ぢかた)として、六世中村歌右衛門、二世中村吉右衛門ら名優と舞台をともにする。1997年、約25年間の舞台生活を経て、文楽座を退座。現在、新潟市の市民歌舞伎「みなと座」などで義太夫節を指導。また、「五世鶴澤淺造 義太夫の世界」などで、弾き語りによるソロの演奏活動、および公立美術館で前衛楽器とのジョイントパフォーマンスも行っている。

受賞歴  文楽協会賞、因(ちなみ)協会賞

 以上の活動は、文楽時代から今日に至るまで義太夫節に関する演奏活動の履歴です。五世鶴澤淺造という芸名は、あくまで義太夫に関する演奏についてのみに使用する芸名です。従いまして今後、古浄瑠璃や説経浄瑠璃などを演奏する場合は、鶴澤淺造の芸名は使用せず、越後角太夫(えちごかくたゆう)を使用致します。越後角太夫の命名者は、恩師ドナルド・キーン先生《注1》であり、平成1993日に東京・柳橋の料亭「亀清楼(かめせいろう)」《注2》において鳥越文藏先生《注3》に立会人となって頂き、命名式を行いました。古浄瑠璃時代の名人・山本角太夫《注4》に因んで越後角太夫と命名して頂きました。以上の通り、今後は義太夫節に関する演奏については従来通り「五世鶴澤淺造」を使用し、古浄瑠璃、説経浄瑠璃の演奏をする場合は「越後角太夫」を使用致します。煩雑で申し訳ございませんが、どうぞくれぐれも宜しくお願い致します。 


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