信太妻の編曲6 [作曲と演奏について]
信太妻の編曲6
1月25日(月)、つまり妙光寺の公演の翌日ですがようやく信太妻の編曲の第二稿が終わりました。
一枚目の写真は最後の部分です。
二枚目の写真で右下の隅に7とありますが、A3の用紙で7枚目です。
つまり第二稿は7ページまであったということです。
三枚目の写真では7枚全てを扇型に並べてみました。
四枚目の写真は第三稿、つまりこれが最終稿になるのですがその為に新たにプリントした用紙を用意したところです。
最終稿では、弾語りしながらまだ手直しをしますが一応の決定稿としてかなり本格的に稽古しながら進めて行きます。
そして途中まで進んだ段階でテープに録音し八郎兵衛さんに送って聞いて頂くという予定です。
どうなるかまだ分かりませんが三回位に分けて出来たところから八郎兵衛さんに送りたいと思っています。
第三稿は今日か今晩か明日の晩から取りかかります。
なんとか今年中になんらかの形で試演会にかけたいと八郎兵衛さんと先日お話しました。
信太妻の編曲5 [作曲と演奏について]
信太妻の編曲5
「信太妻の編曲1」の時に、なぜ作曲と言わず編曲としたかについて説明をさせて頂くとお話していながらそのままになっていました。
http://echigo-kakutayu.blog.so-net.ne.jp/2009-10-12-3
今回ようやくそのことについてお話しさせて頂きます。
実は佐渡の文弥芝居でかつて信太妻が演じられていたことがあったそうです。
しばらく途絶えていて写真のカセットのレーベルに記載があるように1984年に復活されたそうです。
この辺の経緯について私は八郎兵衛さんからお聞きしたことを今お話していますが、私の記憶に誤りもあるかもしれません。
誤りがあるようなら又訂正させて頂きたいと思います。
また聞きそびれてしまっていることもありますので、分かり次第お話しさせて頂きます。
写真のカセットテープは、既に故人でいらっしゃいますが羽茂の大崎座の長尾閑月さんという太夫さんが語っておられます。
長尾閑月さんの生没年は分かりません。
度々引用させて頂いている「佐渡ヶ島 芝居ばなし」に長尾さんのことはしばしば出てきますが、生没年は見当たらないようです。
八郎兵衛さんにいつかお聞きしてみたいと思います。
いずれにしても以前お話しした中川閑楽さんのお弟子さんです。
中川閑楽さんを私が高く評価していることも以前お話させて頂きました。
カセットテープのレーベルにはA面31分、B面42分とあります。
つまり信太妻三段目は長尾さんの弾語りで、合計73分かかるということです。
全体の曲調として初めて聴いた印象は、単調で哀調を帯び、哀れを誘ういかにも古浄瑠璃らしい、そして佐渡に伝わる文弥節らしい情緒があり、親子の情愛がしみじみと感じられ名演奏だと思いました。
そして一人遣いの人形には相応しいと思いました。
そして私は自分で最初から曲を作るよりもある程度長尾さんの曲調を重んじて曲作りをすべきだと思いました。
そしてそのように曲を現在作っているつもりです。
ですから作曲とせず、敢えて編曲と致しました。
長尾さんの語りと三味線を少しずつ聴きながら作譜しています。
どうのように編曲しているかについてお話をさせて頂きます。
三味線の朱(譜)を作っていくに当たって、長尾さんの演奏で、ほぼ同じ個所に同じ曲が繰り返し出てくるところは微妙に変えるように敢えて心がけています。
同じ曲を同じ個所で繰り返すことは長尾さんの特徴でもあり、素朴かつ単調に淡々と聴かせるという長所もあるのですが、私はそれをむしろ不自然と考えて少し変えるようにしました。
それが正しいのかどうかは分かりませんがそのようにしました。
しかし敢えて繰り返した個所もあります。
古浄瑠璃の時代にそこまで微妙な変化を考えたかどうかは疑問ですが、正本を見ると節には意外に細かい指定があるので、当時の演奏者は意外と細かく気を配っていたのではないかとの私の推測でもあります。
義太夫の時代になると同じ節を二度使うことはご法度になって来ますが、そのようなことも若干考えました。
長尾さんの演奏は、佐渡の文弥節の演奏の常として譜もないまま行われますから、語りの間に思い付いたままに三味線を入れて行く、という傾向が有り勝ちですが、それが独特の面白さを引き出しています。
しかし文章のつながりの悪いところに三味線が入るという欠点も指摘できます。
こだわりのない自由さといったものを感じますが、悪く言えば行き当たりばったり風にも聞えます。
ですから演奏する度にその都度曲や節が違っている、ということも大いにあると思います。
八郎兵衛さんもそのようなご意見だったように思います。
そういったことも古浄瑠璃らしいこだわらない独特な雰囲気を創り出しています。
かつては盲人だけの間でもう少し厳格に継承されていたように思いますが、実際はどうなのでしょう。
私の知人で長尾さんと同郷の佐渡の羽茂のご出身の方がおられ家も近く少年時代に身近に接しておられた方がいました。
その方が以前に私が長尾さんのテープを聞きながら信太妻の曲作りを始めたと聞き、長尾さんについて貴重なお話をメールで寄せて下さいました。
それによると長尾さんは若いころ相撲の修行をしたこともあるらしく、草相撲大会ではいつも優勝しておられたそうですから、相当腕っぷしも強随分がっしりした体格の方だったようです。
40歳はすぎたぐらいの長尾さんに、20代の若者が挑むのですが、とてもかなわなかったそうです。
またNHKの「素人のど自慢大会」では、佐渡おけさを「ハアー、佐渡ええ」と歌いだすともう鐘が乱打され、村人達はあきれかえっていたと言いますから、声も音感も良い方だったと思われます。
メールで長尾さんのことを教えて下さった私の知人は、学童と学生の時代に長尾坂の長尾さんに呼び留められて相撲甚句や文弥節の一節のひとくさりを時々聞かされたと言ってその頃のことを懐かしんでおられました。
私の現在知る限りの長尾さんの人となりは以上です。
このことからも分かるように民謡も随分唄われた方のようです。
それは長尾さんの「信太妻」を聴いていても分かることでした。
民謡の影響と思われる節の使い方が随所に見られるからです。
昭和50年代のこの時代になると佐渡の文弥節には民謡や浪花節の影響がかなり出てくるように思われます。
私はそういった節の使い方を良しとはせずに、長尾さんのそういう節は避け全く違う節にさせて頂きました。
浄瑠璃は時代と共に変化するのは当然の成り行きなのであり他の音曲からの影響もあっても良いとは思います。
義太夫にしても種々雑多な音曲の寄せ集め、と言っても過言ではありませんから。
但し、民謡や浪花節の影響となると浄瑠璃には相応しくないと考えています。
理由は浄瑠璃としての雰囲気や品性を損ねてしまうからです。
また「信太妻」の正本には浄瑠璃の文章にところどころ節の名称が簡単ですが書きこんであります。
これは「弘知法印御伝記」の正本と違う点です。
これは演奏者にとって非常に大きい手助けになることです。
正本に記載のある節の名称を長尾さんは無視しておられることが多いのですが、私の場合は義太夫節の節を参考にして節の名称を考慮にいれつつ曲作りをしました。
例えば、「イロ」という名称があるとすると義太夫節で言う「イロ」で語るようにしました。
但し、古浄瑠璃時代の「イロ」と義太夫節になってからの「イロ」が同じだったかどうかは差だけではありません。
以上、思いつくままにだらだらと曲作りのこと編曲の方法などを書かせて頂きましたが、どんな曲になるのか全く見当もつきません。
また言葉では言い尽くせないことも多くあります。
いずれまたお話しさせて頂ければと思います。
そして長尾さんの素朴で哀調を帯びた曲調が少しでも反映できればと思います。
しかしこれはかなり難しいことで結局は義太夫色の強い長尾さんのものより重い感じのする曲調になってしまうのではないかと危惧しています。
長尾さんの演奏時間は73分かかりましたが、私は民謡的色彩を排していますのでおそらく65分かそれ以内ですむように思います。
編曲の進捗状況は、今第二稿がほぼ終わりに近づいています。
信太妻の編曲4 [作曲と演奏について]
信太妻の編曲4
前回のご報告は12月7日で第一稿の編曲が終わったところでした。
あれから第二稿にとりかかり現在はちょうど半分ちょっとまで来ていると思います。
だいたい3分の2位まででしょうか。
第一稿でワープロの文章の右横に三味線の朱(譜)を鉛筆で書き込みました。
一枚目の写真をご覧下さい。
第二稿では、第一稿を見ながら三味線に朱の入るところにスペースを開けおきます。
そして第一稿で弾語りしながら、第二稿の為にプリントした文章に三味線の朱を入れていきます。
それが二枚目と三枚目の写真です。
第一稿とは違う個所が当然出てきます。
こんな風にして私なりの作曲が進んでいきます。
「弘知法印御伝記」を作曲した時は、第一稿と第二稿とは随分違って来ましたが、第二稿と第三稿とは大きな違いはありませんでした。
「信太妻」の場合はどうなるかまだ分かりません。
「信太妻」の編曲3 [作曲と演奏について]
「信太妻」の編曲3
星野さんの結婚式のご報告を小休止して「信太妻」のことをお話しさせて頂きます。
前回のご報告は10月22日でした。
「信太妻」三段目の編曲の第一稿が昨日ようやく終わりました。
急なことがあったりして中断した時期があり、もっと早く第一稿を完成する予定が一カ月近く延びたかもしれません。
なにはともあれ第一稿は終わりました。
明日か明後日には第二稿にとりかかれると思います。
第二稿は、声をしっかり出して弾語りしながら、そして第一稿を見つつ第二稿を進めてまいります。
第一稿とはかなり違ったものになると予想しています。
語り方などもある程度決めながら、語りの音や間合いも時には書きいれながら進行します。
また進捗状況をご報告させて頂きます。
そうそうなぜ作曲でなくて編曲かの説明もまだでした。
それもまた。
写真は、A3の用紙で五枚全てに三味線の朱が入ったものを撮影してみました。
最初の二枚は、最後の部分です。
三枚目は、五枚全部です。
「信太妻」の編曲2 [作曲と演奏について]
「信太妻」の編曲2
「信太妻」の編曲1で「信太妻」のことをお話し始めたのは10月12日のことでした。
なぜ作曲ではなく編曲としたかについては次回に譲るとして現在の進捗状況についてお話させて頂きます。
実は編曲を始めたのが9月の初めだったのですが、仕事忙しかったり9月13日に旧庄屋佐藤家での公演、そして27日には得生院での公演がありなかなか進んでいませんでした。
実際に進み始めたのは得生院の公演の後でした。
しかし出来る日があったり出来ない日があったりで今現在は第一稿の4分の3程度のところです。
「弘知法印御伝記」を作曲した時同様に、A3の用紙に全文をプリントしました。
枚数にして4枚になりました。
ですから今三枚目の半分くらいまで終わりました。
第一稿が終ると第二稿になります。
「弘知法印御伝記」の時もそうでしたが第二稿まではかなり時間がかかります。
第三稿は実際に弾語りしながら手直しするだけですので第一稿や第二稿の時ほどは時間がかからないと思います。
そこから清書を始めますがこれが一番時間的には大変かもしれません。
予定としては清書にはまだ取りかかれなくても、取り敢えずは途中まででもカセットテープに録音して八郎兵衛さんにお渡ししたいと思っています。
それをなんとか来年一月中にはお渡ししたいと考えているところです。
写真は、第一稿の朱(譜面)です。
三味線を爪弾きしながら語って曲を考え、鉛筆で文章の横に三味線の節や語りを書きこんで行きます。
「信太妻」の編曲1 [作曲と演奏について]
「信太妻」の編曲1
「越後國・柏崎 弘知法印御伝記」の次の作品として予定している「信太妻」三段目の編曲を始めました。
作曲ではなく、敢えて編曲といったことについては後日説明させて頂きます。
この古浄瑠璃は、五大説経の内のひとつですが、まだ「弘知法印御伝記」のことが話題にも上っていなかった頃、既に八郎兵衛さんと一緒に活動を始めた頃からやってみたいと話し合っていました。
文弥芝居では、既に現在も上演されているようですが、1980年代に復活されたと八郎兵衛さんからお聞きしています。
これまでの回数や場所、どの座で上演されたかについては八郎兵衛さんに詳しくお聞きしてみたいと思います。
いずれにしても海外でも上演され好評だったそうですし、イギリスではオペラにもなったとお聞きしました。
以下にインターネットで見ることの出来る資料をご紹介させて頂きました。
Wkipediaでは「葛の葉」の項目が非常に参考になります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E5%A4%AA%E5%A6%BB
また「小さな資料室」というHPがあります。
http://www.geocities.jp/sybrma/index.html
そこから、資料198に古浄瑠璃「信太妻」をご覧下さい。
全文を読むことが出来ます。
越後猿八座の座員の方たちは、ここから全文を読んであらすじなどを前もって知っておいて頂ければと思います。
http://www.geocities.jp/sybrma/198shinodaduma.joururi.html
「赤木文庫」古浄瑠璃目録もご参考までにご覧下さい。
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/web/e-rare/akagi/akagi_collection.html
上記のhttpから古浄瑠璃目録一覧の目録一覧028に「しのだづまつりぎつね付あべノ清明出生」をご覧いただけると、挿絵の入った原本も見ることが出来ます。
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/web/e-rare/akagi/thumbs/028.html
写真は、上記のHPからの転載です。
演奏について21(他の人の話を語る時 其の一) [作曲と演奏について]
演奏について21(他の人の話を語る時 其の一)
ちょっと今回は趣向を変えて語り飲テクニックのようなことを書いてみます。
浄瑠璃の中で、他の人が話したことをまた別の人に伝える、という文章があります。例えば次の文章です。
「天狗共頭(こうべ)を地に付け「此の山の倶利伽羅不動の仏勅にて 弘知の法力を現し 末世の衆生に拝ません為なれば 汝ら障碍をなせとの 御方便にて候也。全く我々が所為にては候らはず。お暇申し候」とて 消すが如くに失せにけり。」
四段目の初めにあるのですが天狗が弘知法印に向かって話す詞です。文章からもお分かりのように、「弘知の法力を現し 末世の衆生に拝ません為なれば 汝ら障碍をなせ」は、倶利伽羅不動の言った話をそのまま弘知法印に話していると考えて良いでしょう。そのような時、太夫はこの部分を別の人物が話しているとはっきり分かるように語らなければなりません。つまり、この部分だけ音階やテンポなどを変えて語ります。私は、音階を少し低く、テンポは少しゆっくり、そして少し重々しく語ることで別の人物が話しているように語る積りです。
しかしこれもそう簡単ではなく、なかなか別の人物が話しているようには聞こえないものです。
写真は本のその部分ですが、私は読んでも直ぐにそれと分かるように文章の始まりと終わりに赤い△、▽印をつけています。
演奏について20(本をめくること) [作曲と演奏について]
演奏について20(本をめくること)
以前に弾き語りしながら本をめくるのは、タイミングを外さないように、間を良くめくらないと演奏に支障を来たす、というお話しをさせて頂きました。
本を少しでもめくり易くする為に、下の写真のように左頁の下を折っておき、三角形になっている先をつまむような形でめくります。
文楽の太夫さんでもそうしておられるようです。舞台の前にお弟子さんが、師匠の本が間違いなく折り曲げられているかどうか一枚一枚めくって調べている姿をよく見かけました。
以前にも書きましたが、弾き語りしながらめくる間合いは、詞(ことば)を語っている時なら三味線の左手は空いているのでめくり易いのですが、三味線を弾いている時には開放弦を弾いている時(原則的には左手は空いています)か、三味線を弾いている時ならちょっとした間の中でめくります。
演奏について19(最近の私の稽古) [作曲と演奏について]
演奏について19(最近の私の稽古)
4月25日から5月6日の心萃房での稽古には私は残念ながら結局一度も参加できませんでした。
その間私がどのように稽古していたかというと、仕事が終って夜8時頃から稽古を始め、一日に二段か三段を1時間半から2時間かけて毎日稽古しました。同じ段を二回繰り返すこともあれば、異なった段を二、三段稽古することもありました。
その都度語りにくい箇所をチェックし、また語っていて語りの音階が三味線の音と違和感がある箇所を修正したりしました。こういった修正は作曲の変更ということになります。
語りにくい個所というのは、主に浄瑠璃そのものの文章が悪いところだと思います。なにしろ義太夫節程には文章的に洗練されていないので仕方がないのですが、プロとして本番で語る以上は間違えたり言い澱んだりすることは許されません。しかし言い訳になるかもしれませんが、16000字以上の文章を一度も間違えることなく語り果せることは至難の業と言わざるを得ません。
文楽の太夫さんや三味線弾きでも生身の人間ですから、名人と言えども間違えることはあると思います。三味線弾きの場合は、無本ですから何百回稽古しているものでも、ものの弾みで間違えることはあります。暗譜して演奏することを文楽では「無本」という言い方をしています。
三味線弾きについて言わせて頂けるなら、どういった時に間違えるかと申しますと、演奏に集中していてもふとした時に、舞台で一瞬頭の中が突然真っ白になることがあるのです。そうすると浄瑠璃の文章も出てこない(思い出せない)、三味線の手(譜)も出てこない、という状態になることがあります。そのことは以前にも少しお話ししましたが、この状態を楽屋用語で、「停電する」と言います。なんとなくお分かり頂けると思います。全てが闇の中、全くゼロになる、て感じでしょうか。
私の場合、古浄瑠璃を語る時は本を前に置いて演奏するので「停電する」という事態に陥ることは先ずないと思いますが、それでも稽古していて経験することですが、どうかした拍子に思い違いしたり間違えたりすることはあります。弾語りするということは、語りと三味線とのバランスの中で行う訳ですから、一方のバランスが少しでも狂うともう片方に悪影響を及ぼすことは明らかです。そういったミスや勘違い、間違いも当然ながら私の実力、ひいては越後猿八座の実力のうちになります。
自宅で稽古している様子の写真はないのですが、稽古場の様子をご紹介させて頂きます。今日は四段目から六段目まで三段を稽古しました。
作曲について30(作曲完成 其の四) [作曲と演奏について]
作曲について30(作曲完成 其の四)
作曲が一応の完成をみたことのご報告は前回で終えるつもりでしたが、初段から六段目までの書き終えた本を記念として並べてみました。枚数はおそらく70頁位になると思います。
こうやって並べてみるといろんな想いが彷彿としてきますが、本公演はこれからですし、その後この作品をどう伝えていくのか、そして後継者をどう育てていくのか等々、楽しみは尽きません。